2014年4月29日火曜日

ドグラ・マグラ

書名⇒ ドグラ・マグラ

著者⇒ 夢野久作
出版社⇒  角川書店
分類⇒ 文学(怪奇探偵小説)
感想⇒ 本書は宣伝文句や評論等で「人間の深層意識下を描いた大作」とか「夢野久作畢生の大作」とかと論じられ、著者の代表作として目されている原稿用紙1200枚の長編小説です。しかも、近頃の小説と違って昔のそれはあまり改行しないでページをびっしり文字で埋めているのでその文字数も実質的にも中身の詰まった大作です。
それで一気に読むのはあきらめて、一昨年から他の本と同時進行で少しずつ読み進めてきて、ついこの間読み終えたところです。
それで読み終えた感想なのですが、正直 言ってよく判らない内容でした。今の私は小説を読む時はストーリーの面白さよりも、文章表現を味わうことにポイントを置いているんですが、それでも本書の面白さや魅力はよく判りませんでした。
ただぺージ数が長いだけで、その内容は全く混沌たるものしか感じられませんでしたし、本作品には期待が大きかった だけに、拍子抜けする読後感が残ったのは否めません。
作家の高橋克彦氏も本書を評して、「いったいなにが書かれていたのか、考えれば考えるほどに混沌としてしまった。いや、混乱と書く方が正しい」とし、「全体を貫く筋がない。長い物語という点に幻惑されているだけなのである」と論じた上で、夢野久作を「ストーリーテラーではなく、イメージの作家ではなかったのかという気もする」と評し、「夢野久作は優れた作家ではない。桁外れな魅力を持った未完成の作家であった」と結論づけてましたが、私も同感です。
確かに高橋克彦氏も指摘しているように、中・短編には傾倒するに値する構成力と、何よりも文章の妙味がありますが、この大長編の本作品には、何か継ぎはぎした文章構成を思わせ、首尾一貫性がなく、ただ混沌・混乱した感想しか持ち得ません。
本書はその常軌を逸した作風から奇書と評価されているそうですが、確かにそういう意味においても、本作品は私にとっては期待外れの大作であったと言えます。



ドグラ・マグラ 上

ドグラ・マグラ 上

ドグラ・マグラ 下

ドグラ・マグラ 下






2014年4月20日日曜日

阿修羅ガール

書名⇒ 阿修羅ガール

著者⇒ 舞城王太郎

出版社⇒  新潮社

分類⇒ 文学(幻想小説)
 
感想⇒   本書の著者は数年前から人気急上昇していて芥川賞候補にもなったことがあり、読んでみたいと思っていたがまだ読んでなかった作家の1人でした。
それで今回、やっと読んでみたのですが、読み始めた当初は期待を裏切られたという思いがありました。
まず、文章が主人公の一人称になっているのですが、今どきの若者言葉で書かれてあり、その今どきの若者に迎合したような書き方に不快さを覚え、内容も途中で関係のない話が挟まれていたりとか実在する有名芸能人や著名人が物語の中に出てきたり、主人公が乗っていた電車がいつの間にかアメリカ辺りの砂漠に来ていたりとか支離滅裂さしか感じられず、今どきの若者言葉の文体と相まって、ふざけたような内容にますます不快な気分になってしまったんですが、しかし物語の終わり間際まで読んできて、その構成の妙に思い当たり、少しはこの作品と作者を見直す気持ちになれました。
例えば、訳の分からない内容は、頭を殴られて死にかけている間に見ていた夢あるいは臨死体験による幻覚であったり、途中のストーリーとは無関係な話は深層で話の筋としてつながっているということに気付かされてなるほどなと感心したものです。本作品は三島由紀夫賞を受賞してますが、確かにそれなりに評価できる作品だとは思います。
ただ、この作品を純粋に文学として評価できるかというと疑問符は残っています。内容の支離滅裂さは、安部公房の『壁』などに見られるシュールレアリスム小説などがあり、それも芸術性として評価できるところはありますが、ただ、この作品を安部公房の超現実性による芸術作品と同じように見れるかというと、あまり芸術性が感じられませんでした。
また、この小説では内容にインパクトを与えるためか、一部に文字サイズを大きく印刷したりといった変わった趣向が凝らされていますが、これは、著者が芥川賞候補になって落選した時、その理由として選考委員が、文字サイズを変えたりするのは純粋に文学性を追求することとは違うというようなコメントをしていましたが、私もそう思ってます。
絵画やイラスト、あるいは絵本などと違って、文学はあくまでも文章表現で勝負するべきであって、文字サイズを変えたりするのは小手先の趣向でしかないと思いますし、あくまでも文章表現そのもので勝負してこそ文学だと言えると思います。
とは言っても、そのうち絵画やイラストなどと文学の垣根がなくなり、この小説のような作品がもっと評価されるような時代が来るのかも知れないですが。ただ、私はそれは 文学としては邪道だと思ってます。
そういう意味で、この小説は好き嫌いの評価が別れる作品だと言えるでしょう。
 


阿修羅ガール/舞城王太郎

阿修羅ガール/舞城王太郎





 
 
 
 
 
 
 
 

2014年4月13日日曜日

滴り落ちる時計たちの波紋

書名⇒ 滴り落ちる時計たちの波紋

著者⇒ 平野啓一郎

出版社⇒  文藝春秋

分類⇒ 文学(短編小説)
 感想⇒ 『日蝕』で緻密で重厚な文章表現をものしていた著者による純文学短篇集です。本書でもその文才あふれる文章表現が随所に見られる作品 でした。しかも本書では実験小説とも言える前衛的な作風にも取り組んでいます。
まず、『閉じ込められた少年』では、文章の進行が途中までは順次に進み、途中を境にして、それまでの話の筋を逆にたどって行く構成になっているという、未だかつて読んだことのない構成になっています。しかもその中盤を境にして逆に進む構成には全く違和感がなく読めるというところには感嘆しました。

『瀕死の午後と波打つ磯の幼い兄弟』ではその中に2つの話があり、その2つの話は全く接点もない別の話なんですが、その2つの話のラストがそれぞれにもう1つの話と比喩的につながっているという構成の妙が際立っていました。

『最後の変身』はカフカの『変身』をモチーフにした一人語りの内容の日記風小説なんですが、この作品の構成は日本の小説の常態である縦書きではなく、横書きの構成になっていました。

 このように本書は新境地としての実験小説にも挑んだ意欲的な短篇集となっていて一読の価値ありと言える内容でした。



 滴り落ちる時計たちの波紋

滴り落ちる時計たちの波紋




 

2014年4月7日月曜日

ある閉ざされた雪の山荘で

書名⇒ ある閉ざされた雪の山荘で

著者⇒ 東野圭吾

出版社⇒  講談社

分類⇒ 文学(推理小説)
 
 感想⇒ 昔は推理小説はよく読んでたのですが、ここ数年来は関心が薄れてしまって読んでませんでした。
それで今回は久しぶりに読んでみようと思い、今や直木賞作家でもある東野圭吾氏の本を読んでみました。
まず、物語の設定として、山荘内に集められた劇団のオーディションに合格した役者たちが、殺人劇の舞台稽古をしている間に、1人、また1人というように役者仲間が姿を消してゆき、そこで実際に殺人が起きているのではないかという疑惑が生まれるという凝った内容に新味があり、しかも、事件が三重構造になっているというのも意外などんでん返しの面白さがありました。
つまり、まず芝居として殺人劇を行なうというのが1つで、その中で実際 に殺人が起きていると思わせるのが2つめで、それも結局はある人物をだますための芝居であったという三重構造になっているわけで、読者を引っかけるトリックが物語全体の構成に仕掛けられていて、練りに練った構成だと感心させられた作品でした。
推理小説は最後に作者にだまされたという爽快感の心地よさが魅力ですが、この小説でも久しぶりにそれを味わうことができて得した気分でした。


 ある閉ざされた雪の山荘で

ある閉ざされた雪の山荘で