書名⇒ 阿修羅ガール
著者⇒ 舞城王太郎
出版社⇒ 新潮社
分類⇒ 文学(幻想小説)
感想⇒ 本書の著者は数年前から人気急上昇していて芥川賞候補にもなったことがあり、読んでみたいと思っていたがまだ読んでなかった作家の1人でした。
それで今回、やっと読んでみたのですが、読み始めた当初は期待を裏切られたという思いがありました。
まず、文章が主人公の一人称になっているのですが、今どきの若者言葉で書かれてあり、その今どきの若者に迎合したような書き方に不快さを覚え、内容も途中で関係のない話が挟まれていたりとか実在する有名芸能人や著名人が物語の中に出てきたり、主人公が乗っていた電車がいつの間にかアメリカ辺りの砂漠に来ていたりとか支離滅裂さしか感じられず、今どきの若者言葉の文体と相まって、ふざけたような内容にますます不快な気分になってしまったんですが、しかし物語の終わり間際まで読んできて、その構成の妙に思い当たり、少しはこの作品と作者を見直す気持ちになれました。
例えば、訳の分からない内容は、頭を殴られて死にかけている間に見ていた夢あるいは臨死体験による幻覚であったり、途中のストーリーとは無関係な話は深層で話の筋としてつながっているということに気付かされてなるほどなと感心したものです。本作品は三島由紀夫賞を受賞してますが、確かにそれなりに評価できる作品だとは思います。
ただ、この作品を純粋に文学として評価できるかというと疑問符は残っています。内容の支離滅裂さは、安部公房の『壁』などに見られるシュールレアリスム小説などがあり、それも芸術性として評価できるところはありますが、ただ、この作品を安部公房の超現実性による芸術作品と同じように見れるかというと、あまり芸術性が感じられませんでした。
また、この小説では内容にインパクトを与えるためか、一部に文字サイズを大きく印刷したりといった変わった趣向が凝らされていますが、これは、著者が芥川賞候補になって落選した時、その理由として選考委員が、文字サイズを変えたりするのは純粋に文学性を追求することとは違うというようなコメントをしていましたが、私もそう思ってます。
絵画やイラスト、あるいは絵本などと違って、文学はあくまでも文章表現で勝負するべきであって、文字サイズを変えたりするのは小手先の趣向でしかないと思いますし、あくまでも文章表現そのもので勝負してこそ文学だと言えると思います。
とは言っても、そのうち絵画やイラストなどと文学の垣根がなくなり、この小説のような作品がもっと評価されるような時代が来るのかも知れないですが。ただ、私はそれは 文学としては邪道だと思ってます。
そういう意味で、この小説は好き嫌いの評価が別れる作品だと言えるでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿