書名⇒ 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
著者⇒ 村上春樹
出版社⇒ 文藝春秋
分類⇒ 文学(長編小説)
感想⇒ 私は基本的に、話題になっている本はすぐには読まないようにしています。話題になっているからといってすぐそれに乗って読んでみると、読むほどの価値もない本だったということがあるので、そういう流行には乗らないようにしているのです。
それで、新刊を発表する度に話題になり騒がれる村上春樹ですが、これまで発表された著書も、私は随分あとになって読んでました。今回の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 も、去年国内で発売された時は、深夜に書店前に行列ができたというほどの騒ぎでしたが、私は買いませんでしたし、読みませんでした。
そして今年夏に英訳本が発売され、海外でも書店には徹夜組を含め、行列が作られる人気ぶりだったそうで、それほど騒がれ話題になっているので今回は私も読んでみました。
それで読んだ感想なんですが、はじめに持った感想は「この本のどこが面白いんだろうか?」というものでした。
私は純文学書を読む時はストーリーの面白さよりも文章表現の味わいに重点を置いて読むことにしているので、内容が面白くなくても、文章表現が素晴しければそれで満足するんですが、本書の場合はストーリー展開も面白くなくて、文章表現も特に感銘を受けるようなところもなく、登場人物のセリフもただキザなだけで深みが感じられず、結局「この本のどこがいいんだろうか?」という思いしか残りませんでした。本書よりも平山瑞穂の幻想小説の方がよほど文章表現も優れていて文学性が高いと思えるほどです。
もしかすると自分の文学的センスがおかしいのかと思ってインターネットで書評を探して見てみると、私と同じような感想を持っている人が多かったですね。
少し前に読売新聞に、本書が英訳刊行されたことについての記事が載ってましたが、その中に〈「拙い文章」、「耐え難い繰り返し」、「解決されない謎」などを批判する声も相変わらず少なくないが、一見平凡な文章、登場人物、プロットから創られた「物語」には「不思議な魅力」がある、というのが多くの評者の正直な感想のようである〉と書かれてました。
確かに以前読んだ著書にはその独特の物語性に不思議な魅力を感じたものもありましたが、今回はそういう不思議な魅力というものは感じられなかったですね。
また、村上春樹の本で特徴的な登場人物が語る入れ子構造のような別の物語というのが本書にもあり、本書では友人がその父親の若い頃の話を詳細に語っているんですが、父親の若い頃の話を、息子が自分の体験のようにそんなに細かいところまで覚えているのかな? という疑問も湧き、そういうところも話としての不自然さを感じました。
村上作品は国内よりも海外での人気が高いようですが、海外では実際どういう評価をされているのだろうかと思ってネットで調べてみたんですが、有名なミュージシャンのパティ・スミスの書評にしても、高評価なのか低評価なのかわからないような書き方をしていて、評価として高いのか低いのか判然としませんでした。
まあ、海外で人気が高いのは、もしかすると翻訳家の力量によるものでないかとも思ってしまいますが、評論家や海外のファンがどういう評価をしているにしても、私にとっては特に読むほどの本ではないなというのが感想でした。
まあ、海外で人気が高いのは、もしかすると翻訳家の力量によるものでないかとも思ってしまいますが、評論家や海外のファンがどういう評価をしているにしても、私にとっては特に読むほどの本ではないなというのが感想でした。
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