2014年5月4日日曜日

海辺のカフカ

書名⇒ 海辺のカフカ

著者⇒ 村上春樹
出版社⇒  新潮社
分類⇒ 文学(長編小説)
 感想⇒ 今や世界中から注目され、新刊が発売されると開店前から書店に客が並ぶ人気ぶりで、ノーベル文学賞の最有力候補と目されている著者ですが、ただ、著者の作品は嫌いだとか苦手だという人も少なからずいるようです。
著名人の中にも、爆笑問題の太田光氏や政治評論家の加藤清隆氏などのように途中までは好きだったが、途中から嫌いになったという人もいるようです。
私も数年前にいくつかの村上作品を読んだことがあり、初めて読んだ時はその独特の構成と小説世界に引き込まれて面白いと思ってましたが、続けて何作か読んでいくうちにその独特の書き方に辟易するようになったのは事実です。
私の場合特別に嫌いというところまではいきませんが、特に面白いとか特に好きだとまでも思っていません。
今まで読んだ村上作品の読後感想・書評は読書帳に書き残してますので、そのうちこのブログにも掲載するつもりでいますので、詳しくはその時に書こうと思いますが、今回は初めて読んだ村上作品として『海辺のカフカ』について書いておきます。
まず、この作品を一読して不思議な内容の小説だと思いました。本書では主人公の青年の話と、ナカタ老人の話が交互に別々に進行していますが、一見、この2つの話には接点がなさそうに見えて、話が進行するうちにやがてストーリーの接点が見えてくるようになっています。
現実的な話のようでいて非現実的な話が挟み込まれており、実に不思議な読後感を持ちました。
その不思議な雰囲気を醸し出す独特の文体に引き込まれて魅了されたのは確かです。
また、物語の中の謎の部分が謎のまま残されているところが、読者の想像力を働かせる余地があり、うまい構成だなと感心させられる作品ではありました。
以上が当時(数年前)本書を読んだ時の感想ですが、この頃はまだ初めて読んだ頃なので、村上作品には新鮮な驚きが感じられ、特に大好きというわけではないですが、どちらかというと好きな部類に入れて良い作品だと思っていました。
 このような書き方の小説は1作か2作くらいなら評価できるのですが、こういうのをいくつも読むと飽きもきますし、「もういらない」という思いになるものです。
まあ、この作品は私にとって「いいね!」と評価してよいと思っています。

 海辺のカフカ 上/村上春樹

海辺のカフカ 上/村上春樹


 海辺のカフカ 下/村上春樹

海辺のカフカ 下/村上春樹









2014年4月29日火曜日

ドグラ・マグラ

書名⇒ ドグラ・マグラ

著者⇒ 夢野久作
出版社⇒  角川書店
分類⇒ 文学(怪奇探偵小説)
感想⇒ 本書は宣伝文句や評論等で「人間の深層意識下を描いた大作」とか「夢野久作畢生の大作」とかと論じられ、著者の代表作として目されている原稿用紙1200枚の長編小説です。しかも、近頃の小説と違って昔のそれはあまり改行しないでページをびっしり文字で埋めているのでその文字数も実質的にも中身の詰まった大作です。
それで一気に読むのはあきらめて、一昨年から他の本と同時進行で少しずつ読み進めてきて、ついこの間読み終えたところです。
それで読み終えた感想なのですが、正直 言ってよく判らない内容でした。今の私は小説を読む時はストーリーの面白さよりも、文章表現を味わうことにポイントを置いているんですが、それでも本書の面白さや魅力はよく判りませんでした。
ただぺージ数が長いだけで、その内容は全く混沌たるものしか感じられませんでしたし、本作品には期待が大きかった だけに、拍子抜けする読後感が残ったのは否めません。
作家の高橋克彦氏も本書を評して、「いったいなにが書かれていたのか、考えれば考えるほどに混沌としてしまった。いや、混乱と書く方が正しい」とし、「全体を貫く筋がない。長い物語という点に幻惑されているだけなのである」と論じた上で、夢野久作を「ストーリーテラーではなく、イメージの作家ではなかったのかという気もする」と評し、「夢野久作は優れた作家ではない。桁外れな魅力を持った未完成の作家であった」と結論づけてましたが、私も同感です。
確かに高橋克彦氏も指摘しているように、中・短編には傾倒するに値する構成力と、何よりも文章の妙味がありますが、この大長編の本作品には、何か継ぎはぎした文章構成を思わせ、首尾一貫性がなく、ただ混沌・混乱した感想しか持ち得ません。
本書はその常軌を逸した作風から奇書と評価されているそうですが、確かにそういう意味においても、本作品は私にとっては期待外れの大作であったと言えます。



ドグラ・マグラ 上

ドグラ・マグラ 上

ドグラ・マグラ 下

ドグラ・マグラ 下






2014年4月20日日曜日

阿修羅ガール

書名⇒ 阿修羅ガール

著者⇒ 舞城王太郎

出版社⇒  新潮社

分類⇒ 文学(幻想小説)
 
感想⇒   本書の著者は数年前から人気急上昇していて芥川賞候補にもなったことがあり、読んでみたいと思っていたがまだ読んでなかった作家の1人でした。
それで今回、やっと読んでみたのですが、読み始めた当初は期待を裏切られたという思いがありました。
まず、文章が主人公の一人称になっているのですが、今どきの若者言葉で書かれてあり、その今どきの若者に迎合したような書き方に不快さを覚え、内容も途中で関係のない話が挟まれていたりとか実在する有名芸能人や著名人が物語の中に出てきたり、主人公が乗っていた電車がいつの間にかアメリカ辺りの砂漠に来ていたりとか支離滅裂さしか感じられず、今どきの若者言葉の文体と相まって、ふざけたような内容にますます不快な気分になってしまったんですが、しかし物語の終わり間際まで読んできて、その構成の妙に思い当たり、少しはこの作品と作者を見直す気持ちになれました。
例えば、訳の分からない内容は、頭を殴られて死にかけている間に見ていた夢あるいは臨死体験による幻覚であったり、途中のストーリーとは無関係な話は深層で話の筋としてつながっているということに気付かされてなるほどなと感心したものです。本作品は三島由紀夫賞を受賞してますが、確かにそれなりに評価できる作品だとは思います。
ただ、この作品を純粋に文学として評価できるかというと疑問符は残っています。内容の支離滅裂さは、安部公房の『壁』などに見られるシュールレアリスム小説などがあり、それも芸術性として評価できるところはありますが、ただ、この作品を安部公房の超現実性による芸術作品と同じように見れるかというと、あまり芸術性が感じられませんでした。
また、この小説では内容にインパクトを与えるためか、一部に文字サイズを大きく印刷したりといった変わった趣向が凝らされていますが、これは、著者が芥川賞候補になって落選した時、その理由として選考委員が、文字サイズを変えたりするのは純粋に文学性を追求することとは違うというようなコメントをしていましたが、私もそう思ってます。
絵画やイラスト、あるいは絵本などと違って、文学はあくまでも文章表現で勝負するべきであって、文字サイズを変えたりするのは小手先の趣向でしかないと思いますし、あくまでも文章表現そのもので勝負してこそ文学だと言えると思います。
とは言っても、そのうち絵画やイラストなどと文学の垣根がなくなり、この小説のような作品がもっと評価されるような時代が来るのかも知れないですが。ただ、私はそれは 文学としては邪道だと思ってます。
そういう意味で、この小説は好き嫌いの評価が別れる作品だと言えるでしょう。
 


阿修羅ガール/舞城王太郎

阿修羅ガール/舞城王太郎